津山城・城下町泊プロジェクト~津山のランドマークを歴史とモダンが融合する宿泊施設やダイニングへリニューアル!~

津山城・城下町泊プロジェクト~津山のランドマークを歴史とモダンが融合する宿泊施設やダイニングへリニューアル!~

岡山県津山市 岡山県津山市

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目標金額10,000,000

寄附人数0

残り日数 210/211

プロジェクトに寄附(返礼品なし)

最終更新日時:2025年09月03日 01時00分

  • # 観光促進
  • # まちおこし
岡山県津山市 プロジェクトオーナー

岡山県津山市

津山市(つやまし)は、江戸時代には、森忠政が津山藩を治め、津山城が築かれました。津山城は美作国(現在の岡山県北部)の中心として大きな役割を果たし、城下町が発展しました。
現在でも中心部には、ランドマークとなる津山城や衆楽園、重要伝統的建造物群保存地区など、数多くの歴史的資源が集積しており、多くの観光客に津山の文化や歴史を楽しんでいただいております。
また、津山城はさくらの名所100選にも選ばれております。

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新たな歴史の扉をひらく。老朽化で困っていた歴史的な施設をリニューアル!

数あるプロジェクトの中から、当ページを見ていただきありがとうございます。
津山市では現在、津山市のランドマークである津山城、衆楽園、城東重伝建地区の歴史的な資源を動かし、まちのブランド力の向上と郷土愛の醸成につなげ、未来へ続く豊かなまちづくりを目指す「津山城・城下町泊プロジェクト」を実施しております。

老朽化でボロボロな歴史的資源

津山市の中心部には、ランドマークとなる津山城や衆楽園、重伝建地区など、数多くの歴史的資源が集積しています。しかし、人口減少や空き家の増加、税収の減少など、地方都市共通の問題が進行し、行政単独でこれらの価値ある建造物や文化財を維持・管理していくことが難しくなっています。
特に津山城内の「鶴山館」や、衆楽園内の「迎賓館」「余芳閣」、城東重伝建地区内の「旧梶村家住宅」については、老朽化が激しいのが現状です。

こうした背景から、単なる保存から一歩進め、文化財を観光・宿泊・体験などで活用し、新たな価値を創出するものへと発展させる取り組みが求められてきました。国の文化財施策など、保存優先から「活用・共感」に転換している中、歴史的建造物の再生・活用を通じた「持続可能で豊かなまちづくり」を進めていきます。

鶴山館改修前

鶴山館改修前

迎賓館・余芳閣改修前

迎賓館・余芳閣改修前

旧梶村家住宅改修前

旧梶村家住宅改修前

歴史とモダンが融合した施設へ

津山市が所有する歴史的建造物を活用して、宿泊やダイニングなどが楽しめる「小規模分散型ホテル」に生まれ変わらせるものです!
津山城内の「鶴山館」や、衆楽園の「迎賓館」「余芳閣」、そして城東重伝建地区内の「旧梶村家住宅」が、あなたの宿泊や食の体験をするための新しいスポットに大変身します。これにより、一つの施設だけでなく、津山市内の様々な文化財を巡りながら、まち全体を楽しむことができるようになります。
さらに、国内外からの観光客も安心して楽しめる、最高のおもてなしを提供します。

このプロジェクトは、津山市全体の魅力を高めるだけでなく、訪れる人々の満足度や滞在時間、消費を向上させ、歴史的資源を次世代へ繋ぐことを目指しています。ぜひ、私たちと一緒に新しい津山体験を創り出しましょう!

各施設の利活用の想定

  • 鶴山館(史跡津山城内):フロント機能、ガイダンス機能、宿泊機能
  • 迎賓館・余芳閣(名勝旧津山藩別邸庭園(衆楽園)内):ダイニング機能、宿泊機能
  • 旧梶村家住宅(城東重伝建地区内登録有形文化財):宿泊機能、その他
リニューアル

リニューアル

鶴山館改修後

鶴山館改修後

迎賓館改修後

迎賓館改修後

旧梶村家住宅改修後

旧梶村家住宅改修後

寄附の使い道について

  1. 歴史的建造物の保存・改修
    津山城内の「鶴山館」、衆楽園の「迎賓館」「余芳閣」、旧梶村家住宅など、貴重な文化財の保存・改修の費用として活用します。建物の修繕、設備の更新など、後世へ受け渡せる状態へ再生します。
  2. 宿泊・観光体験の環境整備
    宿泊設備、ガイダンス、案内看板、多言語対応など、国内外からの観光客が安心・快適に楽しめる受入環境の整備・運営のための資金となります。
  3. 文化財・歴史的資源の発信
    ホームページ、動画、ガイドマップ、PRイベントなどを通して、津山の歴史・文化の魅力を国内外へ発信・発信強化します。
  4. 地域経済の活性化・次世代への継承
    運営の安定化、雇用の創出、起業・事業参入の後押しなど、「地域の豊かな未来づくり」に向けた活動へ役立てます。

鶴山館(津山城内)、迎賓館・余芳閣(衆楽園内)、旧梶村家住宅(城東重伝建地区内)について

森忠政

森忠政

江戸時代

初代藩主である森忠政が美作国(現在の岡山県北部)の大名に任命され、入封して築き上げたのが津山城とその城下町でした。13年以上にわたるその壮大な事業により、津山は歴史と文化の息づく地として誕生しました。
その後、津山藩2代目藩主の森長継が17世紀に築いたのが、見事な日本庭園である衆楽園です。当時「鶴山御殿庭」とも呼ばれたこの庭園は、美しい自然の風景を巧みに取り入れた池泉回遊式庭園として名を馳せました。庭園内には余芳閣や迎賓館といった重要な建物がありましたが、余芳閣が当時の姿を保っているかは定かではありません。一方、迎賓館は明治時代に撤去されてしまいました。
さらに、津山の城下町にある旧梶村家住宅は津山でも有数の商家としてその歴史を刻んでおり、明治から昭和にかけて時代の移り変わりと共に増改築され、当時の生活様式や建築技術を今に伝えています。

明治時代

津山城は、明治時代の廃藩置県に伴い、津山藩の廃止とともに多くの藩主居館や城の施設が取り壊されました。かつて壮麗を誇った津山城も、その関連施設とともに解体の運命を辿りました。
しかし、その後、城跡の一部は民間地として払い下げられ、一時は荒れ果てた状態となりました。そんな中、津山町(現在の津山市の前身)がこの歴史的な場所を買い取り、管理することを決定しました。こうして津山町の管理のもと、「鶴山公園」として新たに開園されました。この時期から桜の植樹が始まり、春には美しい桜が咲き誇る名所として親しまれるようになりました。
また、もともと藩校(修道館)として異なる場所に整備されていた鶴山館も、廃藩置県によって廃校となりましたが、明治時代に一部が現在の場所へ移築されました。これにより、新たに「鶴山館」としてその名が引き継がれ、歴史と教育の場としてその存在を保ち続けています。

近代

津山城は、明治時代以降、城跡が「鶴山公園」として整備される中で、桜の植樹が進められてきました。現在、全山が美しい桜で覆われるようになったのはこの時代からの努力の賜物です。春には見事な桜の花が咲き誇り、多くの観光客が訪れる名所となっています。
衆楽園については、津山藩2代目藩主森長継によって築かれた庭園で、歴史の中で重要な役割を果たしてきました。余芳閣は解体と復元を経て、当時の面影を残しながら保存されています。また、迎賓館は市内の京町にあった旅館「対鶴楼」の2階部分を移築して建てられたもので、現在もその姿を保ち続けています。
旧梶村家住宅は、津山でも有数の商家としてその歴史を持ち、時代とともに増改築を重ねてきました。大正時代には座敷・蔵・洋館が建て増しされ、昭和初期にはさらに蔵・茶室・庭園が増築されました。その結果、多様な建築様式と時代の移り変わりを感じさせる邸宅となり、津山の歴史と文化を物語る貴重な遺産となっています。

現代

津山城内の鶴山館、衆楽園内の迎賓館・余芳閣、城東重伝建地区内の旧梶村家住宅は、見学施設となっており、多くの皆様に親しまれているものの老朽化が激しくなっております。

令和8年度

鶴山館、迎賓館、余芳閣、旧梶村家住宅の改修を行い、新たに宿泊施設やダイニングなどへリニューアルしてオープンいたします。

※プロジェクトの成果情報は申込み時のデータであり、実際に入金されたデータではありません。

※入金の確認が取れた時点などで正確なデータに修正させていただく場合があります。

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