太平洋戦争末期、尖閣諸島で起きた悲劇 人々を救ったのは、真水をたたえた日本の領土 『尖閣1945』映画化プロジェクト

太平洋戦争末期、尖閣諸島で起きた悲劇 人々を救ったのは、真水をたたえた日本の領土 『尖閣1945』映画化プロジェクト

石垣市役所 尖閣諸島対策室 沖縄県石垣市

寄附総額1,826,000

0 達成

目標金額150,000,000

寄附人数40

残り日数 87/90

プロジェクトに寄附(返礼品なし)

最終更新日時:2024年11月21日 01時00分

  • # エンターテインメント
  • # 教育
石垣市役所 尖閣諸島対策室 プロジェクトオーナー

石垣市役所 尖閣諸島対策室

尖閣諸島は、沖縄県石垣市(いしがきし)の行政区域で、最も大きな魚釣島は石垣島の北西約170kmに位置します。日本政府は、尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国を含むいずれの国の支配も及んでいない土地であることを慎重に確認し、1895年1月14日に閣議決定を行い、正式に日本の領土に編入しました。明治時代から昭和初期にかけては、羽毛採取や鰹節製造などの事業が営まれ、最盛期には、99戸、248人が生活していました。

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この映画化の一員に、あなたもなって欲しい。あなたは、本当の尖閣を知ることができる。

知らなければならない尖閣の真実が、映画という形で明らかに

太平洋戦争、沖縄陥落から一週間後。米軍の上陸を恐れた石垣島の人々は船で台湾への疎開を開始するが、米軍機の攻撃で海上を漂流、尖閣諸島の魚釣島に漂着する。
だが、そこには飢餓と病の地獄が待っていた・・・果たして人々は生還することができるのか?

魚釣島

魚釣島

この映画は、極限状態の中での、勇気と優しさ、日本人の誇りを描いた門田隆将氏のノンフィクションを映画化するものです。
この映画の重要性は、尖閣、大洋の自然。国や人種に関わりなく人類の命を慈しむ存在。そして、全世界から注視されている尖閣諸島の歴史的真実を明らかにすることです。
あなたもこの貴重なプロジェクトの一員として、クラウドファンディングに参加してください。

なお、寄附額5万円以上のご支援者の方の氏名を、映画のエンドロールで紹介させていただきます。
※エンドロールでの紹介を希望しない場合には、備考欄に「紹介を希望しない」とご記入ください。

原作者の門田隆将氏 原作者の門田隆将氏 2023年11月に刊行した『尖閣1945』は反響を呼び、お蔭さまでベストセラーになりました。「尖閣戦時遭難事件」を描いたこのノンフィクション作品は、なぜ尖閣が日本の領土なのか、そして歴史的に日本人がこの島にどんな思いを抱いているのか、遭難者の多くが生き残ったのはなぜなのか、という初めてお伝えする「真実の歴史」に大いなる関心を持っていただけた結果だったと思います。
この本に書いたように魚釣島には、今も日本人のご遺骨が沢山埋まっています。そんな深い歴史と日本人が熱い思いを寄せる尖閣を、1970年に国連の海洋調査の結果が明らかになって突然、中国が領有権を主張し始めました。
私は長い間、多くの女性や子供たちを乗せて石垣島から台湾へ向かっていた2隻の疎開船が辿った史実を描きたいと思っていました。そしてやっと生き残りを訪ね、関係者の証言を集め、これを立体的に描くことができました。
この本1冊でいかに尖閣が日本固有の領土であるか、そしてこの島には日本人の遺骨だけでなく、先人の魂がこもっていることを知って欲しいと思いました。

尖閣1945 尖閣1945 本が刊行後、取材でもご協力いただいた中山義隆石垣市長から「感激しました。この本を映画化したい。クラウドファンディングを利用して、どうしても実現したい」とのご連絡をいただいたのです。自治体を中心に尖閣の物語を実現する?私は感激しました。「あぁ、これほど尖閣を大切にする人が日本にはいたんだ」との思いがこみ上げたのです。「ありがとうございます。どんな協力でもさせていただきます」と私は答えていました。
この映画化プロジェクトは、そんな思いからスタートしたものです。どうか尖閣への思い、いや、最近、情けないニュースばかりが目立つ日本に対して、「このままでいいのか」との思いを持つ方々の浄財を期待します。
がんばれ、日本! 守れ、尖閣!

監督の五十嵐匠氏 監督の五十嵐匠氏 八重山諸島は日本の最南西端に位置し、海・陸・空とも豊かな自然に恵まれ、宝の島々と言われています。このような平和な海域に尖閣諸島の魚釣島があります。
昭和20年終戦間際の7月から8月にかけて尖閣諸島で起こった史上まれにみる海難事件はこれまであまり知られてきませんでした。「尖閣戦時遭難事件」と呼ばれるその事件は、疎開のため石垣から台湾に向け出航した2隻の民間船に乗った人々がアメリカ軍機の爆撃を浴び1隻は沈没、1隻は尖閣諸島魚釣島にたどり着き、人々は50日間餓死寸前になりながらも生き延びたというものでした。生き延びたその日、戦争は終わりました。
戦後80年を迎える2025年-。風化しつつある戦争と戦争がもたらしたものを100年遺る映画としてこれからを生きる若者たちに届けたい。本作品はその想いをもって企画すると共に、戦争のさなか極限に追い込まれどんな逆境でも信念と矜持を失わなかった石垣に生きる人々の不屈の精神を映画化するものです。
御協力何卒よろしくお願い申し上げます。

※プロジェクトの成果情報は申込み時のデータであり、実際に入金されたデータではありません。

※入金の確認が取れた時点などで正確なデータに修正させていただく場合があります。

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