岐阜県内でただ1つ本陣建築が残された場所、「落合宿本陣」を後世に伝えたい…!落合宿本陣再生計画!!

岐阜県内でただ1つ本陣建築が残された場所、「落合宿本陣」を後世に伝えたい…!落合宿本陣再生計画!!

岐阜県中津川市 岐阜県中津川市

寄附総額50,003,000

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目標金額5,000,000

寄附人数2,335

残り日数 0/90

プロジェクトに寄附(返礼品なし)

最終更新日時:2023年03月02日 01時00分

  • # まちおこし
  • # 観光促進
岐阜県中津川市 プロジェクトオーナー

岐阜県中津川市

岐阜県の東南端に位置し、古くは、東山道、中山道などの交通の要衝として栄え、近年では中核工業団地の完成により、商工業都市として成長してきました。
一方、東濃桧は伊勢神宮の式年遷宮で御神木として使用されるほど有名です。
そして、市内には開業を数年後に控えるリニア岐阜県駅(仮称)が誕生します。
今も昔も交通の要衝として、人、モノ、情報の行き交うまちとして、これからも歴史を歩み続けていきます。

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岐阜県内でただ1つ本陣建築が残された場所、「落合宿本陣」の歴史を守り、後世に伝えたい

平成22年(2010年)2月に国史跡「中山道」へ追加指定された落合宿本陣は、岐阜県内で唯一本陣建築が現存する重要な史跡として知られています。
この落合宿本陣を守り後世に伝えるため、中津川市は平成26年(2014年)11月に土地建物を公有化しましたが、最低でも築100年以上、最大で築200年余りを経た史跡内の建物群には老朽化が目立ち、本格的な改修が実施できるまでの間、応急的な修繕を繰り返している状況です。
現在は毎週日曜日と祝日(12月から翌2月の期間を除く)に主屋や表庭の無料公開を行っていますが、将来的には建物の改修・整備を経てかつての姿を取り戻した落合宿本陣を皆様にお見せすることで、中山道落合宿をより深く知っていただき、まちづくりの拠点としても活用したいと考えています。
どうぞ皆様のご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。

落合宿本陣の歴史を守り伝えたい~岐阜県内でただ1つ本陣建築が残された場所~

落合宿本陣主屋内部の様子

落合宿本陣主屋内部の様子

落合宿本陣とは、その名の示す通り、中山道落合宿に置かれた本陣のことを言い、江戸時代には、公家や大名、幕府の役人など身分の高い人々の宿泊に利用されました。
落合宿といえば、中山道沿線に設けられた江戸から数えて44番目の宿場町であり、映画「十三人の刺客」の舞台として知られるほか、江戸へ向かう7代目市川團十郎が追い剥ぎに狙われた際に救いを求めた宿場としても知られています。

地位の高い人々に利用された上段の間

地位の高い人々に利用された上段の間

平成22年(2010年)2月に国史跡「中山道」に追加指定された落合宿本陣には主屋・土蔵・離れといった歴史的建築物が残されていますが、この内、主屋の中には実際に高位の人々が宿泊・小休した座敷が残されています。
落合宿本陣に宿泊した人物としては、水戸の徳川齋昭へ降嫁した登美宮や第十三代将軍徳川家定へ降嫁した有姫などが知られ、苗木城主として知られる苗木遠山家が落合宿本陣を利用していたことも記録に残っています。また、この他にも、現在も残る本陣の御門が落合宿を常宿とする加賀前田家から贈られたものであるとか、第十四代将軍徳川家茂に降嫁する際に和宮が小休したというような伝承も残されています。
落合宿本陣の主屋は、文化元年(1804年)と文化12年(1815年)の大火で焼失した後、文化15年(1818年)頃に再建されたもので、明治時代の改修を経て現在の姿になりました。
本陣建築が現存する例は全国的に見ても少なく、岐阜県内で見れば落合宿本陣が唯一となっており、それだけをとっても非常に重要な史跡であると言えます。
明治時代に入って本陣名目が廃止された後も、明治13年(1880年)の明治天皇巡幸に際して小休場所となるなど、落合宿本陣は中山道に関わる重要な役割を果たし続けました。

歴史的建築物を劣化・倒壊から守りたい~安全な建物として活用するために~

土蔵の構造支持工事

土蔵の構造支持工事

現在、毎週の日曜日や祝日に落合宿本陣の主屋や表庭を無料公開していますが、敷地内に存在する歴史的建築物の内、土蔵や離れについては老朽化や雨漏り等で蓄積した歪みによって特に安全性が損なわれた状況にあり、内部や外観をご覧いただけない状況にあります。
土蔵や離れといった建築物は、かつて落合宿本陣の役目を務めた井口家が明治維新後の社会情勢に対応する過程で建築したものであり、中山道落合宿が近代化へ踏み出していった歴史の一端を反映するとともに、その建築的特徴から、近代和風建築としても高い価値を有します。

離れの構造補強工事

離れの構造補強工事

雨漏り防止のため土蔵や離れに設置したシートは特別丈夫なものを選んではいますが、台風の度に破れてはまた新しいものを設置するということを繰り返し、倒壊を防ぐために土蔵の構造支持工事や離れの構造補強工事も実施していますが、あくまで応急的なものであり、本格的な改修・整備が実施されるまでの時間を稼ぐものに過ぎません。

主屋小姓の間破損復旧状況

主屋小姓の間破損復旧状況

主屋小姓の間崩落仮復旧状況

主屋小姓の間崩落仮復旧状況

現在一般公開している主屋に関しても、損傷の大きかった小姓の間を令和元年(2019年)に仮復旧したところですが、それ以外の箇所でも傷みが目立つようになっております。
度重なる応急修繕は市の財政にとっても大きな負担となっており、本格的な改修・整備の実施が待たれるところではありますが、その実施にも莫大な費用が必要となります。
史跡内の歴史的建築物を守り、安全な施設として活用していくため、皆様のご支援・ご協力をお願いいたします。

まちづくりの拠点にしていきたい~地元住民が立ち上げたガイドボランティアとの連携~

落合宿本陣一般公開の様子

落合宿本陣一般公開の様子

落合宿本陣では平成29年(2017年)3月から表庭と主屋の一般無料公開を実施していますが、その担い手となっているのが落合まちづくり推進協議会に所属する落合宿本陣ガイドボランティアの会の皆様です。
ボランティアの皆様は、毎週の日曜日と祝日(12月~翌2月を除く)に自らの学びの成果を取り入れ、工夫を凝らしたガイドを行う一方、湿気による建築物の劣化を防ぐための空気の入れ替えや、草刈り等にも積極的に取り組んでいただいています。

外国人対応客に英語で応対する地元高校生

外国人観光客に英語で応対する地元高校生

小学生の参加や、地元にある中津高等学校の有志生徒が行う外国人観光客への英語ガイドなど、ボランティアの裾野は広がりつつあります。
落合宿本陣は、地域においてもシンボル的な史跡であり、かつて中山道宿場町の1つとして落合宿が栄えたように、多くの人々が行きかい、賑わうようなまちづくりを進めていく上での拠点施設としても期待されています。

事業実施のスケジュール

令和4年(2022年)8月 落合宿本陣整備に向けた専門家や地元住民と協議を開始
令和7年(2025年)3月 整備基本計画の策定
令和8年(2026年)3月 設計完了
令和8年(2026年)以降 落合宿本陣の整備に着手

※状況によって変更が生じる場合もあります。

目標額を超えてご支援いただいた場合には、次年度以降にかかる修繕費用に使用させていただくとともに、観光、産業振興など、中津川市の発展のためにも使用させていただきます。

※プロジェクトの成果情報は申込み時のデータであり、実際に入金されたデータではありません。

※入金の確認が取れた時点などで正確なデータに修正させていただく場合があります。

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