華やかなりし小江戸文化を感じ、周遊・交流できるまちを次代へ継承するため、甲府城南側エリア整備に取り組みます。
甲府城とは
甲府城は武田氏の滅亡後、豊臣秀吉配下の大名によって築かれ、慶長5(1600)年ごろに完成したと言われています。
現在は本丸を中心とした一部が残っているだけですが、かつての甲府城の内城(内堀内側)は、20ha(東京ドーム約4個分)ほどの広さがありました。
明治6年の廃城令によって、甲府城は内城のみ残してほかは市街地化されることになり、甲府駅や県庁が建てられました。明治37年からは舞鶴城公園として市民に開放されています。
小江戸甲府
1705年(永宝2年)、柳沢吉保が甲府城主となると、その子、吉里の親子2代にわたる治世下で甲府に「経済発展」と「文化の成熟」の時代がやってきます。
都市整備・観光振興
甲府城の修繕工事や城下町の整備、観光政策を相次いで実施しました。
文化・教育
吉保・吉里親子は芸術・学問にもすぐれ、当時、最高峰の江戸文化が甲府にもたらされた時代でありました。
経済
物流経済も活性化し、当時の甲府城下町は「これぞ甲府の花盛り」と記録される繁栄ぶりで、柳沢家2代の統治は後の甲府の発展につながっていったと言えます。
その後、8代将軍徳川吉宗による享保の改革により幕府権力が再び強化され、重要地であった甲斐国は、甲府勤番支配の設置により幕府領となりました。
勤番士と様々な経済活動に生きる町人とが交わることにより、甲府へ江戸の学問・芸術・風俗・情報などが流れ込む太いルートが成立し、甲府の都市社会を成熟させた「小江戸甲府」の文化が花開きました。
甲斐国最初の劇場「亀屋座」は江戸三座(中村・市村・森田)に並ぶ大規模な建物であり、江戸から当時の歌舞伎界の花形スター級の役者が登場しました。中村仲蔵、坂東三津五郎、松本幸四郎、市川団十郎などの名前もあり、江戸の文化芸術を「小江戸甲府」でも楽しむことができたのです。
次代への継承
このように、甲府が小江戸として華やかであった頃の文化を伝えたい、そんな思いの中、2019年、甲府市は開府500年を迎えました。甲府市では、こうした節目を契機に「未来につなぐまちづくり」として、甲府が紡いできた重層的な歴史・文化を感じながら周遊・交流できるまちを次代に継承していくとともに、甲府城南側エリアが、新たな歴史文化のランドマークとして、回遊性の向上と賑わいの創出を図るものとなるよう整備を進めることとしました。
甲府城を中心として城下に栄えた小江戸甲府の歴史・文化の発信をはじめ、まちなみや演芸等の交流により、当時の雰囲気や賑わいを今に伝える施設整備を行い、来訪者が江戸時代を基調とした空間に触れながらくつろぎ、ゆったり過ごせる、そんな場所を提供したいと考えています。
※上記はイメージです。建築物の配置や意匠等は、今後の設計等を踏まえ決定します。
寄附金の使い道
甲府城南側エリアの整備に使わせていただきます。
※参考図面