さくら名所100選の地「かみね公園・平和通り」の桜を植え替え、さくらのまち日立の原風景を次の世代に引き継ぎたい
かみね公園頂上からの眺望
平和通りの桜とひたち風流物
日立市役所のさくら課です。
この度は、数あるプロジェクトの中から、当ページをご覧いただきありがとうございます。
本市は、春になると美しく咲き誇る桜でいっぱいになります。
本市のシンボルである桜は、市民と企業が力を合わせて煙害を克服した力強い歴史があります。
この「さくらのまち日立」の原風景を次の世代に引き継いでいくため、市民・産業界・教育機関等とともに、「ひたちらしさを大切にしたさくらのまちづくり」を推進しているところです。
特に、日本の「さくら名所100選」にも選出され、本市の代表的なさくらの名所である「かみね公園」と「平和通り」の桜更新事業に取り組んでいます。
小学校でのさくら教室の様子
どうして、「かみね公園」と「平和通り」の桜を植え替える必要があるの?
「かみね公園」と「平和通り」の桜は、最初に植えられてから70余年が経過し、樹勢の衰えが顕著に見られるようになっております。
植えられてから40年~70余年が経過した平和通りの桜について調査した結果、木の内部が腐っていたり、空洞があることが分かりました。
桜の調査の様子
いつまでも、さくらの名所「かみね公園」と「平和通り」の桜が咲き続けるために・・・
本市のシンボルである、この美しい桜を次の世代に引き継いでいくため、できる限り景観に配慮しながら、衰弱して枯れてしまう危険が迫っている桜から順次、若木に植え替えていくこととしました。
新たな桜を植えることにより、さくらの名所としての魅力向上を図っていくため、日常管理と保全についても、年間を通して適切に取り組んでいきます。
かみね公園の桜並木(昭和40年代)
かみね公園の桜並木(平成25年度)
かみね公園の桜更新の様子
平和通りの桜更新の様子
市民によるかみね公園の植樹運動
神峰公園整備促進会によるかみね公園の植樹風景(出典元:調査報告書 日立のさくら ールーツと歩みー より)
日立市民はもとより、県内外の方々から親しまれているかみね公園は、戦後間もない1948年(昭和23年)から整備に着手しましたが、当初は市の財政難のため、工事はなかなか進みませんでした。
そこで、地元の宮田・滑川地区住民によって、公園建設に協力し、その整備を促進する目的で、1953年(昭和28年)に「神峰公園整備促進会」が結成されました。
この会の主な活動の中に、公園への一戸一本献木運動や、桜の苗木植栽及び施肥、園内の草刈りなどの奉仕作業がありました。
現在みられる、かみね公園の桜の中には、このような市民の善意により植樹されたものがかなり存在するのです。
平和通りの桜はいつ植えられたの?
平和通り完成当時の様子
平和通りに桜が植えられたのは、1951年(昭和26年)4月3日、友末洋治茨城県知事(当時)と高嶋秀吉日立市長(当時)が記念植樹を行ったことが始まりです。
その後、同年10月に地元の人たちの協力により、国道6号からけやき通りまでの約600m区間の両側に、75本のソメイヨシノが植えられました。
また、商店会などの地元有志の強い要望もあり、1977年(昭和52年)に、けやき通りから日立駅前までの約330m区間にもソメイヨシノが植えられ、当初からの桜と合わせ、合計115本(当時)の桜並木が完成しました。