飼料価格の高騰などにより「近江牛」など畜産農家の経営は大打撃
東近江市内には約2,400頭の近江牛と約400頭の乳牛、約40,000羽の鶏が飼養されています。農畜産業が盛んな東近江市は、日本三大和牛に数えられる日本最古のブランド牛「近江牛」の産地です。近江牛は400年以上前から飼養され、食用牛としては圧倒的な歴史を誇ります。その肉質はきめが細かく、脂は甘くとろける食味です。
そんな、東近江市の畜産農家が経営危機に見舞われています。
コロナ禍における外食産業の低迷による牛枝肉価格の下落に加えて、配合飼料価格が令和2年1月以降急激に高騰し、今後も価格下落の見通しが立たない状況となっています。
「このような状況に苦しむ畜産農家の経営を支え、よりよい畜産物が生産できる体制を構築したい。」と考えています。
解決したい問題
配合飼料工場渡価格の推移
「畜産農家を取り巻く連続する問題により、負のスパイラルが発生。近江牛の未来に危機も」
コロナ禍による外食産業の低迷で、枝肉価格の下落
まだまだ価格は戻ってきておらず、下落の余波を残した状況。
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配合飼料(エサ)の価格高騰
2023年3月時点で前年同月の20%増(公益社団法人配合飼料供給安定機構発表資料より)
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エサ代を稼ぐためにも、近江牛を出荷。
枝肉価格が下落しているため、運営維持費用程度にとどまる。
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通常だと、子牛を新たに仕入れるが、その余力もないため、仕入れを断念する。
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管理頭数が減る。
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東近江市全体で、同様の状況となって、頭数が減少していく。
様々な要因から、畜産農家の経営が厳しくなっており、近江牛の頭数を減少させる問題へと発展しています。
近江牛だけでなく、養鶏や酪農など畜産農業が盛んな東近江市だからこそ、農家を取り巻く負のスパイラルの問題を解決していきたいと思っています。
その「負のスパイラル」を止めるために
近江牛
これまで東近江市農業水産課では、
【令和2年度~3年度】
・牛マルキン制度(牛の肥育にかかる費用に対し、売れた金額が下回った場合に9割補填する制度)に追加支援。
・子牛を仕入れる際の補助事業
【令和4年度~】
・飼料価格高騰に対する補助事業
上記のような支援を行ってきましたが、いつまでこの状況(飼料高騰)が続くか分からず、まだまだ支援が必要だと思っています。
だからこそこういった支援をこれからも継続し、発展させていくためにも、今回のプロジェクトでご支援頂き、減少傾向にある近江牛の頭数を守り、本当においしい近江牛を未来に残していきたいと思っています。
近江牛の歴史
日本三大和牛の一つに数えられ、国内最古のブランド牛と言われている近江牛。近江牛の始まりは、江戸時代と言われています。江戸時代には牛肉は薬用とされていましたが、1687年に彦根藩で武具や馬具に使う牛皮を調達した後の牛肉の味噌漬けが考案され、反本丸(へんぽんがん)という名の“養生薬”として、彦根藩から将軍家や徳川御三家への献上品にもなっていました。当時、彦根藩の区域であった東近江市(愛東・湖東・能登川地区)においても、農耕用として牛が飼われており、近江牛の起源に関係していると考えられます。
全国的に近江牛の名が知られるようになったのは明治時代です。当初は陸路や海運により東京に出荷されていましたが、明治22年に東海道本線が開通し、近江八幡駅から貨物での輸送が始まると、「近江牛」の名が使われるようになりました。そして100年の時を経て、近江牛としてのブランドが定着しました。
全国の皆様に「近江牛」を食べていただきたい
東近江市は鈴鹿山脈からの良質な水と、湖東平野に広がる肥沃な土壌という農業に最適な環境に恵まれ、栄養バランスの良い飼料で育まれた肉質は霜降り度合が高く、特有の香りと肉の柔らかさに加え、甘い脂のくちどけが特徴で、各地の品評会でも高い評価を得ています。近江牛の品質は、一頭、一頭丹念に育て上げる生産者のたゆまぬ努力によって守られています。
近江牛の特徴
・肉がきめ細かく、柔らか
肉は、きめが細かいほど美味しいと言われ、近江牛はそのきめが細かいのが特徴です。
・美しいサシが消えない
肉と脂肪とのいりまじりを“サシ”といい、近江牛には、全体に細かいサシがはいっています。
・独特の粘りを持つ脂肪
良い脂肪とはツヤがあり、適度に粘りがあるものです。